生物多様性農業支援センター スタッフブログでタグ「姜大寅さんの死を悼む」が付けられているもの

姜大寅さんの死を悼む

 

 

           NPO法人 民間稲作研究所 稲葉光國

 

1月30日(土)田の草フォーラムの懇親会の最中に姜大寅氏急逝の知らせがあった。韓国の洪さんからタイワ精機の高井会長を経ての第一報であった。にわかに信じられず確認のために金氏にその信憑性を確認して頂いた。事実であった。100日断食祈願の途中のできごとと聞き、なぜ彼がそこまで祈願しなければならなかったのか。その真意は正直なところ、私には解らない。彼も死を覚悟して100日断食に入った訳ではあるまい。神の啓示を受けようとしたのではないか。

彼が毎年断食祈願をしているという話は3年前に耳にした。しかしこれほどまでの苦行を自らに課していたとは知らなかった。1haで始まったかれの有機稲作は今や10haに拡大していた。その技術の骨格は姜大寅さん、中国の金吉沫さん、そして小生の3人の共同作業のなかで育まれたものであった。稚苗ではなく、薄まき成苗を移植し、病害虫の発生しない健康なイネづくりで、有機稲作のレベルアップを図り、東アジアの稲作を環境創造型の有機稲作で再建しようと誓い合ったのは9年前のことだ。金吉沫氏が小生の農場で研修し、姜氏は何度も小生の農場を訪ねてくれた。私も訪ね、抑草技術を中心に技術交流を行ってきた。

第7回の順天市で行われた技術会議は姜さんに重い荷物を背負わせてしまったような気がしてならない。ジャンボタニシに頼らない抑草技術を築き上げようとしていた私たちに、地域の有機農業者から不満の声が寄せられた。技術確立の過程であった生き物の多様性を活かした抑草技術には安定性がなかった。その点ジャンボタニシは確実であり、効果抜群であった。ジャンボタニシ除草は韓国全土に広がり、そこからの脱却は容易ではない。ましてや付加価値農業と捉える有機農業者が増えるなかで、平和の礎ととらえていた姜さんにとって、有機農業の未来を意味あるものとするために、現状は何とかしなければならなかった。その重圧のなかで、100日断食祈願が組まれたのではないかと思うと涙が止まらなかった。断食後に設立のお披露目を予定していたという真新しい教育館が山の中腹に淋しく建っていた。

志の高い姜さんの遺体はしっかりした麻布で、固く、硬く覆われ、小さくなっていた。そのまま地下深く埋葬され大地に戻る時を待つお姿であった。埋葬者のみなさんで歌ったスコットランド民謡「アンニーローリー」--「冬去りなば、また帰ると、麗しのアンニーローリー、誓いたまえ」が、姜さんの魂に届いていることを信じ、帰路についた。

東亜日報に断食祈願の詳しい記事のあることを金亨美さんが紹介してくださった。アクネモチを背景に撮った遺影が日韓稲作交流の証しとなっていた。                     

 

2010,2,3

 

         合掌

 

東亜日報    社会

 

「有機農は平和だ」有機農伝道師カン・デインさんが断食中に死亡

 

FEBRUARY 01, 2010 07:47

 

「わが土はあらゆるところが聖国だ」(断食の最終日)、「寒くて蜂すらこない」(66日目)、「元気がなく、口からすっぱい水が出る」(61日目)、「有機栽培農業だけが生き残りの道だ」(51日目)。

「有機農業のゴッドファーザー」と呼ばれてきたカン・デインさん(59、写真)が残した10枚前後の営農日誌に書かれた苦悩の文章である。カンさんは1月30日正午ごろ、全羅南道高興郡南陽面(チョンラナムド・ゴフングン・ナムヤンミョン)の八影山(パルヨンサン)南東側の8分稜線の小さなお寺の敷地で、死亡したまま見つかった。

カンさんは昨年11月3日から、89日間、断食しながら祈りを捧げていた。妻のチョン・ヤンスク氏(51)と長女のソンア氏(27)が、彼を見つけた当時、彼は跪き、頭を土に当てたまま、祈りを捧げる姿だった。警察は、カンさんは低体温症で死亡したと見ている。ソンア氏は、「父は、今度の100日間の断食を最後にする気でした。絶対来ないでほしいと頼まれましたが、気になって、3回も訪ねました」とすすり泣いた。

カンさんは、高校3年生の時、農業や環境、国のための断食祈祷を開始し、これまで20数回も断食祈祷を行ってきた。彼は、「農業が生きれば、全てが生き残る。体によい有機栽培米を全国民が食べられることこそ、平和だ」という信念を生涯実践してきた。1977年、父親が農薬中毒の後遺症で死亡したのにショックを受け、10万平方メートル(約3万坪)の土地に、農薬の代わりに、山野草や木酢液、米ぬかなどを使う有機栽培農業を始めた。

1995年、国内初の有機栽培品質認証を獲得した彼は、33年間有機農業を実践し、300?400米種子を開発した。そのうち、100種あまりを特許出願し、「米の専門家」として名をはせてきた。全羅南道寶城郡筏橋邑馬洞里(ボソングン・ボルギョウプ・マドンリ)のウリウォン教育館を設立し、命の米や鏡草の液、ドクダミなどの製造秘訣を農民らに伝授した。

遺体安置所が設けられている寶城郡筏橋邑の三星(サムスン)病院の葬儀場には31日、全国からエコ農業家1000人が訪れ、彼を追悼した。カンさんの家業は、大学卒業後に帰農した長女のソンア氏が継ぐことになる。

 

タグ